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 選んでいるのは私です

 外側にみえる世界が

自分の内側の意識のリフレクションだとしたら



「彼」という現実は

私の心を映し出すとても大きな鏡だ。




彼との間に起こっていることをみれば

いま自分が何を思っているのかがはっきりとわかる。



自分の思いが即二人の関係に反映されてしまうので、

その前に一体自分が何を考えていたのかが明確になって、

思ったことと現実に起こっていることとのつながりがわかりやすい、

時間差がほとんどないからね。



彼に対する執着が一切ないニュートラルな状態でいれば、

たくさんのシンクロにシティに導かれて想像もしなかったような展開になって

楽々進んでいけるし、逆にほんのちょっとでも

何かを期待している状態のときには(表面的にはうまく隠していたとしても)

やっぱり何かしらの結果を求めてしまって結局は何一つ思い通りに運ばなくて

すれ違ってしまうことになる。



執着しない、求めない、

まず最初に手放す



そうするとそこにできたスペースを共有しながら

関係を築いていくことができる。



でもなかなかどうして難しいんだよね、これが。

だってやっぱり好きになっちゃったからね、

女として



“普通の”カップルが手をつないで散歩してたり、

食事のテーブル越しに見つめ合って微笑んでいたり、

ハグしたりしているのなんかをみると、

自分の心にぽっかりが開いているのをかんじてしまう。

求めても求めても決して得られないもの、

求めてはいけないものを欲している自分が悲しくて。



それを選んでいるのは誰ですか?



は~い、で~す。



やれやれ・・・。


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13:07 | イタリア人に恋して
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